私が専門とする非平衡ソフトマター物理学は,化学・生物学との境界領域にある凝縮系物理学の一大分野です.その中で,ガラス転移や結晶化などの液体から広い意味での固体への相転移現象や,それらのレオロジー(外場応答)は中心的な問題です.私はこれまで,主に分子動力学法をはじめとする大規模数値計算手法を軸に,構造解析および動力学解析研究に従事してきました.近年,非平衡ソフトマター分野における,物質の秩序化や,その外場特性に関する研究手法は,多体電子や超電導磁束などの量子多体系,細胞組織などの生物系において応用されるなど,学際色の強い研究分野へと成長しつつあります.私は,非平衡ソフトマターにおける研究経験をもとに,当該分野の更なる発展はもとより,量子系から生物系をも視野に入れた普遍性の高い研究を遂行し,幅広い研究分野の発展に貢献したいと考えております.以下,私のこれまでの研究内容について簡単に説明します.

 

 1. 過冷却液体中に内在する中距離秩序の発見

ガラス転移点近傍の過冷却液体には,運動の速い領域と遅い領域とが共存しており,これを動的不均一性といいます.この性質は,ガラス転移の際の緩和時間の急激な増大を説明する候補の一つとして注目されていますが,その起源についての十分な知見は得られていません.一方,これまでの多くのガラス転移に関する研究では,液体において普遍的に起こりうる結晶化の影響を無視したものが殆どであったのに対し,我々は,結晶化とガラス化が不可分であるという独創的な立場に立ち,これらの関係に焦点を当て研究を進めました.本研究では,分子動力学計算を行い,様々な過冷却液体における局所構造を,ボンド配向秩序変数を導入し詳細に解析しました.すると,従来の常識に反し,多くの過冷却液体の静的構造は均一ではなく,中距離秩序が局所的に存在し,これが動的不均一性の起源になる可能性を,申請者らは様々な系において示し,さらに,この中距離秩序の特徴的な長さスケールがガラス化に伴い増大するという点も見出しました.このことは臨界現象とのアナロジーが可能であり,ガラスのスローダイナミクスの物理的起源を理解する上で重要な知見になると考えています.また近年,実際の金属ガラス系やコロイド分散系などの実験系における過冷却(過圧縮)液体・ガラスにおいても中距離秩序が発見されたという報告も続々と出ており今後の研究の発展が期待されます.

詳しくは以下の論文を参照ください.

  • T. Kawasaki, T. Araki, and H. Tanaka, Phys. Rev. Lett. 99, 215701 (2007).
  • T. Kawasaki and H. Tanaka, Phys. Rev. Lett. 102, 185701 (2009).
  • H. Tanaka, T. Kawasaki, H. Shintani, and K. Watanabe, Nature Materials 9, 324 (2010).

2.  結晶前駆体の発見

1の研究などから,多くの過冷却液体中には,特徴的局所構造が発達しており粒子レベルでは構造的に均一ではないことが明らかとなしました.我々はさらに,単分散剛体粒子系における過冷却液体が結晶化する際の素過程についても詳しく調べました.ここでは特に,球面調和関数による位相情報を,第一近接粒子に関して平均化を施したボンド配向秩序変数による解析を行ったところ,結晶化が並進秩序で一義的に決まるという従来の常識に反し,過冷却液体には液体と結晶の中間状態である結晶前駆体[ガラス中における中距離秩序に相当]が存在し,必ず結晶前駆体を経て結晶核が生成することを発見しました.さらに,結晶核形成の初期過程である前駆体生成時においては,密度(並進秩序)の増大を伴わず,ボンド配向秩序のみが成長していることを明らかにしました.ここでの並進秩序は,ボンド配向秩序の増大にともない形成されるものであり,無秩序な液体状態から不連続的に生成するものではないことを表します.このことは,液体と結晶間のエネルギー差を用いる従来の古典核生成理論などには考慮されておらず,前駆体を考慮すると結晶の界面エネルギーが低下することを意味します.また,近年,コロイド分散系の実験系においても申請者らが発見したものと同様の結晶前駆体が存在することが直接観察されています.

詳しくは以下の論文を参照ください.

  • T. Kawasaki and H. Tanaka, Proc. Natl. Acad. Sci. USA 107, 14036 (2010).

3. 様々な過冷却液体における異常輸送現象の解明

均一な単純液体では広く成立するStokes Einstein(SE)則が,過冷却液体において普遍的に破れることが知られており,ガラス転移との関係が広く議論されています.しかし,その物理的起源はほとんど理解されておりませんでした.特に,研究が遅れていた一つの原因として,粘性率(グリーン・久保公式における応力相関関数)の計算コストが過冷却状態で極めて高く,従来の計算機を用いた理論的研究がほとんど進んでいなかったことが挙げられます.そこで我々は,スーパーコンピュータを用いた大規模分子動力学計算を極めて効率よく行い,過冷却状態にある水やシリカの粘性率を極低温領域まで計算することに成功しました.こうして初めて,粘性率を支配している時間スケールが,密度の相関関数で特徴づけられる構造緩和時間であるのに対し,拡散係数を特徴づける時間スケールが,分子のボンド結合破断時間(過冷却水の場合水素結合破断,過冷却シリカでは共有結合破断の時間スケール)であることを発見しました.さらに,これらの時間スケールは,構造緩和時間として一括りにされる傾向にありましたが,前者は,動的不均一性に伴う「遅い粒子」の寄与,後者は「速い粒子」の寄与が支配的であることを突き止め,このような時間スケールの分離こそがSE側の破れの起源であることも明らかにしました.また,本結果は,金属ガラスや,さらには剛体球からなる液体でも同様の概念が適用可能であることも確認しており,物質に依らず普遍性の高いものであり,異方粒子系へも適用可能であると考えています

詳しくは以下の論文を参照ください.

  • T. Kawasaki and K. Kim, Science Advances 3, e1700399 (2017).
  • T. Kawasaki and A. Onuki, Phys. Rev. E 87, 012312 (2013).
  • T. Kawasaki, K. Kim, and A. Onuki, J. Chem. Phys. 140, 184502 (2014).
  • T. Kawasaki and K. Kim, Sci Rep 9, 8118 (2019).

4. サスペンション系における非線形レオロジーの機構解明

コロイドやエマルションなどが溶媒中に分散したサスペンション系における流動曲線(剪断応力や粘性率の剪断率依存性)は,剪断率の増大に対して,粘性率が非常に複雑な非線形的振る舞いをみせます.その中で,粘性率がせん断速度と共に上昇するシアシックニングの理解は発展途上です.本研究では,その物理的起源を明らかにするために,サスペンション系の流動曲線を再現する最も簡単な模型(慣性効果を考慮し制御したもの,またこれとは別に,接線摩擦力と熱揺動力のみを考慮したものを提案し,これらを用いることにより実験で見られるほぼ全ての複雑な流動曲線を半定量的に再現することに成功しました.本研究は,シアシックニングを初めとするサスペンション系で見られる極めて複雑な流動特性のメカニズムの根本理解に寄与するものであると考えております.

詳しくは以下の論文を参照ください.

  • T. Kawasaki , A. Ikeda, and L. Berthier, EPL 107, 28009 (2014).
  • T. Kawasaki and L. Berthier, Phys. Rev. E 98, 012609 (2018).

5. ジャミング転移に伴う粘性発散の精密測定と降伏転移のメカニズムの解明

分子系やサスペンション系とは異なり,熱揺動力の効かない比較的大きな粒子(粉体など)を箱に詰めると,ガラス転移に似た,粘性発散と剛性の発現が観測されます.これをジャミング転移といい,熱揺らぎの寄与が重要であるガラス転移とは異なり,粒子の構造力学のみで決定される転移として理解されています.一方,ジャミング転移密度近傍では,粒子の構造やダイナミクスに非自明な臨界的な振る舞いが観測され,これらの理解へ向けて計算機シミュレーションによる観測が重要な役割を担っています.我々は,大規模な粒子シミュレーションを定圧環境下で効率よく実行し,粘性発散や剛性率の臨界指数をジャミング転移点近傍に至るまで精密に測定することに成功しました.

詳しくは以下の論文を参照ください.

  • T. Kawasaki , D. Coslovich, A. Ikeda, and L. Berthier, Phys. Rev. E 91, 012203 (2015).

6. アモルファス固体において見られる様々な非平衡相転移現象の機構解明

周期剪断下にある粒子系に対する剪断振幅を増大させると,粒子軌道は可逆軌道から不可逆軌道へと変化します.特に希薄な系の場合,不可逆軌道を示す粒子数は剪断振幅に対して臨界点を境に連続的に増大する非平衡相転移(吸収状態転移の一種)が発見されています.ところが,高密度系での振舞いはほとんど理解されておりませんでした.我々は高密度系での上記問題を分子動力学法により取り組んだ結果,ジャミング転移点近傍で,降伏現象や粒子構造などと関係する非常に多岐にわたる吸収状態転移を発見した.なお,ここで発見された現象は,第2種超電導体における量子渦糸のダイナミクスと多くの部分で共通していることが報告されており[M. Dobroka, et al., New J. Phys. 19, 053023 (2017)],研究のさらなる波及効果が期待されます.

詳しくは以下の論文を参照ください.

  • T. Kawasaki and L. Berthier, Phys. Rev. E 94, 022615 (2016).
  • K. Nagasawa, K. Miyazaki, and T. Kawasaki, Soft Matter 15, 7557 (2019).

7. 液晶秩序を発現する古典異方粒子系における相転移ダイナミクス

温度や密度などの状態変数を変化させることにより,水(液体相)は,水蒸気(気体相)や氷(固体相)に転移します.この様な気液転移や固液転移は,我々にとって最も身近な相転移現象であり,主に古典統計力学を用いてその特徴を捉えることができます.一方,量子力学的効果が重要となる,超電導や超流動,磁性などの発現も相転移現象ですが,これまでの相転移研究においては,古典系と量子系の研究領域の間には大きな隔たりがありました.ところが近年,これらの間に多くの共通点が見出されており,そこでの普遍性・多様性を明らかにすることは極めて重要な課題です.

私が専門とするソフトマター物理分野では,古典系を中心とした相転移現象やその外場応答が広く研究されています.その主な対象は,コロイドや液晶,膜など比較的大きな構成粒子からなる凝縮系です.例えば巨大高分子であるコロイド粒子は剛体球,細長い分子である液晶分子は剛体楕円球になどに近似しても十分現象の本質を捉えることができます.また,それらの相互作用は,量子系と比べると極めてシンプルです.ところが,そこで見られる相転移現象は依然として複雑であり,量子系との共通点も多々あります.従って,ソフトマター系は複雑な相転移現象における本質を抽出することに適したモデル系を数多く提供しています.また,ソフトマター系は,量子系と比べると,粒子間相互作用計算にかかるコストが小さく,数値計算の大規模化が可能です.そのため,メソスケールの構造形成に関する研究が盛んに展開されており,多くの知見を与えています.一方,当該分野においては,球などの等方粒子に比べ異方的な粒子系のメソ構造形成に関する研究例は少なく発展途上です.相互作用の異方性は量子効果として本質となりうることからも,異方性が相転移に及す影響を深く追及することは極めて重要です.

異方粒子系の秩序化においては,粒子の重心位置から特徴づけられる「位置秩序」,粒子の重心間ボンドの配向角で特徴づけられる「ボンド配向秩序」,これらに加えて,異方粒子の向き(例えば楕円体の長径方向)によって特徴づけられる「ネマティック秩序」との競合により非常に豊かな相挙動が観測されます.本研究においては,粒子の異方性を系統的に変化させた際の古典大規模分子動力学計算を行い,相転移現象における異方性の寄与について研究を進めております.特に,様々な秩序構造の競合が織りなす多様な相転移現象とその外場応答を調べることにより,古典系,量子系双方に対して重要な物理的知見を与えていきたいと考えています.